1996年2月号 金型ジャーナル 
 

―プレス順送金型の設計時間が、レイアウト後わずか3分で完了させる驚異的な金型自動設計システムで、一躍ネームバリューを挙げた伊藤製作所(四日市市)が本格的、初の海外進出を決断した。進出先はフィリピンの現地企業との合弁で、20数年間暖めてきた家族づきあいの親友関係がここに実を結んだ。

合弁後は第一次経営計画から第4次まですでに構想が固まり、早ければ今春にも新工場建設に着手、今秋11月には完成する予定。当初はプレス部品加工と順送金型製作からスタートするが、最終目標はCAD/CAMセンターを設立し、フィリピンを発信基地として全世界にネットワークを張り巡らせ、順送金型の図面を世界に販売するという、広大な計画を立てている。―

海外戦略構想

―海外での最終目標はCAD/CAMセンターの独立会社―
このほど、フィリピンの華僑と合弁が正式に決った、プレス部品加工・順送金型メーカーの伊藤製作所社長・伊藤澄夫氏が目を輝かせて語る21世紀の企業構想。

伊藤製作所は、5〜6年前にプレス順送金型のレイアウト後わずか3分で完了させる驚異的な自動設計CAD/CAMシステム(サムシステム)を確立、これが大きな武器となり、設計図面の単独部門「イートン」を設立するなど、ソフトウエアの強化を図ってきた。この自動設計システムは、単にコンピュータの大型メモリーに標準化・パターン化したものではない。

順送金型の設計には展開図・レイアウトを作成したあとの上・下型、ダイセット回りの細かな構造データを入力するだけでも最低20時間を要するといわれたものを、100分の1に短縮したという、究極の金型自動設計システムソフト。

同社では、このソフトを駆使し、千差万別のレイアウトと金型仕様を考慮した標準パーツ、プレート、各部品の作図とさらに驚く事に、瞬時にMCとワイヤカットの加工データまで自動発生させるというスグレもの。

完成当時、外部の同業者にも呼びかけ社内で発表会を2回(うち1回は本誌と共同)開き、大手・中堅企業から注目を集めた。その後同社のソフト部門はさらに自動設計時間を短縮させ、CAD/CAM部門として自社採算ベースを確立、国内だけでなく、海外からの引き合いも増加してきた。

この戦略、1つにはコンピュータ・ウエブを先取りしたものだが、将来的にはプレス加工の市場縮小も考慮した先手手段。バブルが弾け、加工組立産業の海外生産移転が強まる以前に予測した同社の伊藤社長が見事に実を結んだ一石だった。

この自動設計システムに注目したのがフィリピン松下の杉山成昭氏。フィリピン松下でも本格的な金型の生産シフトを組むにあたり、現地での難問は金型の設計部門だとして、フィリピンからアプローチを受け、対顧客という関係でフィリピンとの関係が生じた。

一方で同社の伊藤澄夫氏は、20数年間フィリピン・華僑のオーナーと交流を深め、フィリピンは身近な存在であったという。今回のフィリピン進出は、この現地華僑との合弁が進展したもの。

この間、フィリピン松下の現地スタッフを日本(伊藤製作所)で1ヶ月の研修を受け入れた。また、同社のソフト担当部長・加藤美幸氏を現地に派遣して直接指導するなど、フィリピンの現地事情・社会環境などの情報も刻々と入手。フィリピン進出への構想は着々と進められていた。これまで、何度か海外進出のチャンスはあったが、タイミングが合わず、今回の合弁が事実上の同社海外戦略の第一弾。

「フィリピンでは、マスコミの情報によると治安が悪い国という印象が一般に日本に流されているが、実際のフィリピンの社会的不安はありませんね。教育レベルも高く、民族性も素直で明るい。2年前にもある視察で現地工場を訪問したが、フィリピンのイメージを取り間違えていた、というのが参加者の一致した意見でした」

20数年間パートナーシップを暖めてきた人間交流がフィリピンへの進出を決断させたものだが、実は、同社の海外進出計画は何年も前から構想にあった。

同社は昨年95年12月で創業半世紀という長い歴史を刻んでいる。創業時の品目「漁網機械・撚糸機械」は息の長い商品として育んできた。漁網機械向け舟形(真ちゅう製シャトル)を製造販売してきた部門だが、この分野、時代と共にライバルメーカーが撤退するなど、今では同社の漁網の得意先向けシェアは70%(海外50%)、ニッチ産業とはいえ日本に同社しかないこの事業は、隠れたベスト部門となっている。

タイ進出 ⇒ 一転比に転換

伊藤製作所は2年前にプレスのスタンピングでタイ進出が進められていた。ところが、あいつぐ外資投入が続いた為か、バンコク市内における工場建設は第一ゾーンでは、金型などの主力産業のサポートは許可になったが、プレス加工は除外する法律が定められていた。(この法律は95年に改正された)

このため、同社では、タイ進出を断念したと言ういきさつがあった。既に第一期から第四期まで経営計画も固まり設備機械、日本からの派遣員、現地採用人員、設立までの日本での研修など細目にわたって決っていたもの。
後日、駐日タイ大使館公使プラモード・ヴィタヤースック氏にこの話をしたところ大変残念がっていたが、時すでに遅く、伊藤製作所はタイ進出が一転、フィリピンに変更となった。

「プレス加工が第一ゾーンでOKだったら即タイ進出は実現していたでしょうね。逆にタイの進出条件が厳しかった事でラッキーだった。調査したところフィリピンなら、プレス金型屋として5年以内でトップグループにはいる自信はありますが、タイでは10年かかってもトップ10に入れないでしょう。それにフィリピンは訪問してみるとイメージがとても良い国。当社の得意先候補も多く進出している。昨今のグローバル化時代は、海外市場を開拓していかないと生き残るのは難しい。日本は先が見えて来ましたから・・・」

タイ進出の構想が国の事情で取りやめとなったことで、ASEANの中で最も工業技術で遅れているフィリピンにターゲットを絞った。"瓢箪から駒"はこれから数年後でないとわからないが、同社長がフィリピンを強調するのは語学の問題。

「タイやインドネシアでは英語は特定の人だけ。ところが、フィリピンは英語圏、ほとんどの人が英語で通用する。それにフィリピンのイメージが悪いという印象があるうちに進出した方が有利ですよ。私の最終目標にあるCAD/CAMセンターも、アメリカナイズされた教育で、パソコンが非常に得意。将来的に"有望な人材市場"です―」

ASEANでは良質の人材が不足という点がいずれの国でも悩みといわれている。ところが、同社が昨年から自動設計システムで指導に当たっているフィリピン松下の金型部門に若い女性が一人でマシニングセンター2台を操作し、CAMデータのアウトプットまで兼ねている人材がいる。指導が良かったのか、本人の資質が良かったのか、いずれにしても素直な性格は飲み込みが早いと、指導している同社でも驚いているほど。これなら、フィリピン現地での合弁会社も若い優秀な人材の育成も可能だろう。ちなみに、大学卒はASEAN平均の4〜5倍と、何故かフィリピンの教育レベルは高い。

同社の自動設計システムは、5〜6年前に一度は韓国に輸出する動きがあったが、ソフトパッケージとして海外へ進出するのは今回のフィリピンが初めて。その先導役となったのがフィリピン松下という事だ。

「失礼かもしれないが、発展途上国にこういうシステムが入ったら、多分1年以内に日本の金型企業と同等か以上になれると思う。もし、設計時間の早さ、加工データだけという点だけなら、日本以上になれるのではないか。

21世紀にはCAD/CAMセンター

さて、伊藤社長の海外での最終経営計画はCAD/CAMセンターを設立する夢である。全世界がインターネットの時代に入り、映像、グラフィックが電話回線一つで画面に映り、全世界とインターフェイスできるようになった。金型のような複雑な構造物の設計・加工データもコンピュータで営業ベースに乗せてしまおうというのがそもそもの発想の転換。

同社の自動設計システムで全世界をマーケットとするこの発想、発信基地をフィリピン・マニラに設置しようというが、なぜ?マニラなのか。
「アセアンはもちろんのこと、アメリカ、ヨーロッパ等どこへ設計図面を送るにしてもこの仕事は英語でなされている。となれば、フィリピンは世界で2番目に多くの国民が英語を話しますから断然有利。これがタイや中国、インドネシアであれば語学の面で大きなハンディーになります。私がフィリピンに進出を決断した大きな理由はここにあるのです。

フィリピンを発信基地にして、当面は日本とアセアン全域を対象にプレス順送金型の設計図面を販売するという構想。その時点で伊藤製作所に供給する図面も全てマニラからネットで送られる。同時に姉妹会社イートンは設計部門をなくし、ソフト開発・型技術開発等に特化し、棲み分けを図る。
金型産業振興策を掲げているアセアン各国だが、実態は金型供給不足もさることながら、加工以前の問題として設計が足踏み状態で、最大の悩みといわれている。

企業づくりに夢を賭けて、一つ一つの夢を実現させてきた同社長が、最終構想の夢を揚げた。このCAD/CAMセンター構想はあくまでフィリピンの合弁事業とは切り離した独自の計画。それだけに言葉も慎重に選びながら夢を語る。

「マニラのダウンタウンにあるビルのフロアーを貸切り、合弁会社で教育をした技術者5〜6名とイートンのトップ技術者が合流し、5台程度のCAD/CAMからスタートする。教育スピードによるが、3〜4年で30台程度にしたい。この時点で2交代制により、月間150型と予想している。同時に、時差に関係なく世界中の得意先は、何時でもコンタクトできる。

予想される問題も多い。せっかく教育した社員の引き抜き、1型だけの注文をもらい、型構造を盗まれたり、予想もつかない困難も待ち受けることを覚悟をしておかなければならない。それでも、合弁会社とのハード部門の進出など比ではないほどの期待をかけているとか。

―マルチメディアとインターネットー

金型の世界も既にコンピュータを駆使する領域が格段の差で広がってきた。プレス加工や金型製作で海外に出るべきか残るべきか、といった論点は既にマルチメディアの流れから脱硫しているほどで小さな問題点とされ、コンピュータソフトの独自の金型設計で海外に発信基地をセッティングしようという構想の方が新鮮な感覚を受ける。それほど日本の産業構造は大きな転換のうねりの中に揺らいでいるという事だ。

今回のプレス・金型製作での海外進出も、現地でのコストの安さが同社長の綿密な計算のうえに成り立っている。フィリピン・スタッフの賃金は大学卒で日本円約25000円、物価上昇指数が7〜8%で換算して、10年後でも5万円程度である。

―さて、気にかかるのは現地での利益を日本に還元できるのですか?―

「全く問題ありません。利益は戻せます。しかし、最短でも5年間は現地の設備を充実させる為に当てます。CAD/CAMセンターが実現し、経営が軌道に乗るまで日本に利益を戻す気はありません。

ハード(製作工場)部門の海外進出にはいささかも不安はないという。という裏づけは、フィリピン人の資質は予想以上で、製造に対するセンスのよさが分かっていた為。

フィリピン松下「MEPCO」で金型技術全般の指導を95年6月から担当している伊藤製作所の技術部長・加藤美幸氏は・・・。
実際に金型の製作を開始したのは95年2月、現地従業員は全く白紙に近い状態からの取り組みを前提に、2次元CAD/CAM、マシニング、ワイヤ放電加工機などの教育を行なったが、反省点として指摘しているのは私の会話力の問題。

同氏は「MEPCOのスタッフ各個人は素直な者が多いため、指導いかんで凄い部門に成長すると思うー」と感想を述べている。フィリピンの国民性の一端が覗けるようだ。同社のフィリピン進出は人的資源の質と豊富さに、自信を持っていたのである。

一方、ソフト面の進出、CAD/CAMセンターの設立にはハード以上に期待を膨らませている。椰子の木の茂る南国マニラより世界に順送金型の設計と加工データが飛び回り、それがビジネスになることを想像しただけでも、ゾクゾクします。

いくつもの夢を育んできた中小企業の経営者が、インターネット時代にもう一つ大きな夢を描いた。同社とてバブルが弾けて、プレス加工部門の量的減少は避けられなかった。そんな過酷な経済環境の中で発想の転換を図って利益を維持してきた。
「お得意様に恵まれ、利益が少しでも出ていたお陰で海外進出の手が打てたと思います―」

発想の飛躍のないところに企業に飛躍はないを見事に開花させたといえよう。

                       行川一男