2006年10月18日 型技術 
 
―フィリピンに出てよかった点は―

@ 国民のはぼ80%は完璧に英語を理解する。これは中国やアジア各国より技術移転や教育が容易である。

A 対日感情が極めて良好である。日系企業で働くことに誇りを感じている。したがって転職などほとんどないことは、金型企業にとってはありがたい。

B 日本では当地の治安が悪いと思われているためか、他のアジアと比べ金型企業が極めて少ないため、受注が容易にできる。

C アジア各国の大卒が6%程度であるが、フィリピンでは26%で教育熱心な国である。加えてアジアの病人と言われているように、経済が低迷しているため就職難である。中小製造業でも工学部卒を選別し、2万円前後で何人でも採用ができる。

D 上記の理由からだろうか、フィリピンに進出した中小企業はタイと同じく高い比率で成功している。一方、中国に進出した中小企業でも驚くべき成長をした例はあるが、成功率としては極めて低い。

中国のシェアを取るために大手企業が進出することは理解できるが、現在の共産党体制下では、中小企業が進出できるような公平な国でないことは昨今の諸事情から容易に判断できる。

今後経済的にも自由で公平になり、国家の民度が向上すれば、中国人の優秀さからして魅力的な進出国であることに変わりはない。今後当社が中国展開するならマーケットの大きさの魅力で、金型より量産加工での進出がべターと考えている。

−技術面−  

戦後、日本以外ではアジアで初めて自動車を製造した国だけに、製造に関するセンスは思ったより高い。日本から30万kmも走行したディーゼルエンジンを輸入し、フィリピンの国民車・ジプニーを何十年も前より大量に生産している。

世界に通用する機械や工業 製品の生産はほとんど不可能であるが、工場の配線や 配管、簡単な倉庫建設、汎用機械の故障などは社員が器用にばらして復元させる技術がある。

昨今日本では 機械や工業製品が故障すれば部品の取替えをするか、簡単に廃却しているように、機械の修理をする技術は日本になくなってきている。当地の金型技術は周辺国家と比較し、遅れていると言うより金型企業が極端に少ないのである。

 フィリピンのプレス加工分野では、自動車部品、弱電、ATM部品、コネクター、HDD部品、非金属プレス加工など多種多様なプレス加工が可能である。
しかしながら金型は日本をはじめ他国からの輸入が多い。

 その理由として、

(1)製作能力
 金型屋が極端に少ないうえ、そのほとんどは200tクラスまで。大型金型製作可能な設備を保有している企業はごく僅かで、400t以上の順送り金型製作は私の知っている限り皆撫である。

 〈2)インフラ
 フイリピンでは金型製作に必要な産業インフラが十分整っていない。金型標準部品は輸入に頼っているため納期がかかる。そのほか、金型の表面処理企業がないため、ラップ+表面処理が不可欠な精密せん断、深絞り、コイニング型の設計、製作、プレス加工の一貫生産が難しい。一部の工程を日本に頼るため納期も長くなる。

(3〉 技術レベル
 コネクター、HDD部品などの超精密金型のほとんどは日本からの輸入に頼っている。ただし、製作は不可能であるが金型メンテナンスは現地で対応できている。超精密金型の企業が進出するには魅力的な国である。

 当社の現地法人(ITO−SPC)はカーオーディオ、車載用小部品、家電部品、フィルタ部品などをメインとして生産している。数年前より日本本社からのサポートなしで設計、製作が可能となった。今では能力の40%の金型を外販できるまでに成長した。

 特に設計部門は、9年の経験を誇る女性設計者と経験は5年ながら日本での研修を機に急成長した男性設計者の2名を中心に、設計部門を経て他部門に配属されている3名の設計可能な技術者がおり大変充実している。現在は日本の本社で製作する金型の一部を設計しネットで送ってくるまでになった。

 日本で研修を受けた仕上げ、組付け、研磨、NC加工の社員は創業当時から9年の経験を積み、全員が定着している。被らには日本本社も全幅の信頼を置いている。

しかしながら日本の職人と比ベると、経験値よりも数値に頼る部分が多い。日本の金型の歴史に比べ、フィリピンの金型の歴史は非常に浅いので当然である。日本では経験値を頼りに「ここを気持ち削っといて」で通じる。しかし現地で金型技術者を育成する場合、「0.02mm削れ」と指示しなければいけない。

彼らが今後10年、20年経験を積み、数値的裏付け、経験値的裏付けのバランスがとれ、金型の「かんどころ」をおさえるようになれば、フィリピンの「ダイ&モールド」が日本の「金型」に対抗できるようになると信じている。

−ローカル社員の教育−

 進出を決めてから、1996年に3名ずつ3回に分け延ベ9名がそれぞれ3カ月日本本社で研修を行った。
1997年5月に一通りの設備を送り稼働に入ったが、簡単な順送り金型が6カ月後から製作可能となるなど、予想以上のスタートを切った。この早さには現地でも評判となった。

 主な理由として、当時駐在した加藤美幸副社長(故人)の技量があった。被は仕事があれば昼夜関係なく教え・働き、まさに仕事の鬼といえる人物だった。さらに氏は設計、NC加工、組付け、品質管理はもちろん営業、経理、人事にまで精通し、まさに天才社員であった。2002年5月ごろより受注金型の多くにトラブルが重なった。

 日本から再三応援を申し出たが、責任感の強い彼はそれを断り、現地社員の報告によれば2週間で9日徹夜をしたと言う。同8月17日出勤前に靴下を履きながら心筋梗塞で50歳の若さにて急逝した。いまだ彼の功績に感謝し、御冥福をお祈りしている。

−設備面−

 日本から機械を輸出するには、機械代金以外に海上運賃、保険、現地の輸送費、機械のセットアップを日本のメーカーから派遣、輸入税(当社は輸出加工区の恩典で永久に機械や材料に輸入税はなし)など、日本で導入するより約30%程度割高になる。

したがってリスクを考慮し当初は中古機械や汎用機でスタートが無難であろう。3交代制をすることに現地社員の違和感や抵抗がないため、余分の設備も不要。しかし、メインとなる機械が故障した場合、程度により日本かシンガポールなどから修理にくるため費用と日数がかかるので、国内と比較すれば設備償却贅は割高となる。

海外に出た日系企業は概して、本社の充実した設備と違って、特殊な工程やサイズの受注に対応できない場合が少なくない。日本であれば容易に外注で賄えるが、フィリピンではそうはいかない。フィリピンに進出した金型企業は少ないためか、横の連絡を取り合い互いに困った仕事を助け合いしている。このような事情で今後、積極的な設備をしても採算や受注に困ることはない。

 現在、ITO−SPCの設備はワイヤ放電加工機3台、マシニングセンタ2台、研磨機5台、自動プレス200t以下8台、タンデムプレス12台が主な設備である。

今後、同社の利益と償却費のバランスを見て、その範囲内で積極的に設備を導入していく。2007年中旬までには300tクラスまでの順送り金型が製作できる設備を計画している。
    
−受注面−

 タイと比較しフィリピンのマーケットの大きさは5分の1程度と思われるが、金型や部品加工など下請け企業は10分の1にも満たない。すでにフィリピンに進出している企業で通常の技術力があれば受注に因ることはない。

 フィリピンに進出した大手企業の購買担当者に金型の調達の割合をうかがったところ、フィリピン国内5%、日本30%、中国50%アセアン15%となっているという。いかにフィリピンでは金型企業が少ないかが理解できる。このことから、今後多くの金型企業がフィリピンに進出しても受注量に因ることはないと言える。

 6年前、当社と親しくしている大田区のN社の社長が当社を数回訪れた。フィリピンはどのような国か?が彼の質問だった。今回報告したようなことを説明したところ、「それは良い国だ。当社も進出しよう」といとも簡単に決定されたのは驚きであった。設立5年目の同社は、すでに当社の数倍の利益を出され、フィリピンの先輩会社としては面目ない思いをしている。

−採 算−

 日本から送った技術者の給与を本社が負担(これは寄付金として計上しなければ税法違反・時効)し、貸し工場の家賃を合弁相手が負担したため、初年度から赤字が出なかったことが幸いであった。進出後10年が経過し、技術は年々向上しているものの、生産性は低い。一人当たりの付加価値は金型部門で本社の6分の1、プレス加工ではいまだ10分の1程度である。

しかし、そのような状況でありながら昨年末決算の売上げ利益率は17%であった〈PEZAの恩典で税金はゼロ)。今後、せめて日本の4分の1くらいまで頑張れば、異常な利益が期待できる。これが海外進出の大きな魅力と言える。現在76名の社員で、1カ月の総給与は180万円程度であるのが利益の出る大きな理由である。

−フィリピンの治安と対日感情−

 昨今日本では子や親を殺したり、幼児の連続殺人など日を覆いたくなるような事件が多い。フィリピンではこのような種類の事件はほとんどない。日本人がフィリピンの治安を指摘する資格はないのではと思ってしまう。

 戦後、日本は国も個人も身を守る術を忘れてしまっている。どこの国へ行っても日本人の被害が多いのはこのような理由からであろう。

−フィリピン人のヨルフの上手な友人から聞いた話−

「ITOさん、昔当地で対日感情が非常に悪かったことを知っている?」……ハイ、おおよそ見当はつきます。「近年、反日と言うより急激に親日になった理由がわかる?」……いや、その理由はわかりません。

「ジャパユキのお陰だよ。実は、20年前よりジャパユキが増えた。貧しい家庭の娘が家族の犠牲になり、恐い国日本に恐る恐る出稼ぎに行った。

 日本に住んでから、爺ちゃんが言っていたような恐い国ではないことがわかった。町は綺麗で日本人は親切で、たまにオジサンが高額のチップもくれるし。帰国した多くの娘さんが家族や友人に報告することが全国に広まった」そうだ。

「韓国や香港に出稼ぎに行った娘が帰国しても親韓や親中になっていないよ!」……日本人はジャパユキサンに感謝しなくっちゃ−。

   −☆−

 進出してよかったことは、予想以上の利益が出たとか、現地の収益力で設備投資ができる力をつけたなど経営・経理上のメリットよりむしろ社員が育ったことである。ローカル社員が職を与えてくれるという会社への感謝など予想していなかった喜ばしい副産物もあった。

 数年間駐在している本社の若手社員は技術、営業、経理、経営管理、人事、語学に精通し人脈までつくることなど、日本本社では絶村に教育ができないことをやり切れた。

当社に限らず日本の多くの企業の若者が世界中の企業で経験し、国際感覚やスキルを積み重ね、やがて帰国することは大変喜ばしい。今後ますますグローバル化される時代に対応できる多くの若者が育つことは頼もしい限りである。