2000年2月3日 日本工業新聞 
 

 タイを諦め大成功

フィリピンは経済的低迷が長かったため、タイに比べて製造業の育成が遅れている。そんな状況が幸いして成功したマニラの日系中小企業の活躍が注目されている。 この会社は三重県に本社を構える伊藤製作所のフィリピン法人であるイトーフォーカスコーポレイション。

日本でも従業員50名の中小企業だが、フィリピン法人もまだ34人の従業員を抱かえているだけ。しかし、フィリピンではドイツのテレファンケン、日系では富士通テン、デンソー、トヨタ、MEPCOなどの松下グループ、 テクノエイト、千代田インテグレート、ホンダ・パーツなどを相手にプレス金型を製造している。
 「日本では相手にしてもらえない大手企業の仕事ばかりです」と伊藤社長。

このマニラの工場は、97年6月に操業を開始。「やっと人に見せられる状態になった」(伊藤社長)として、99年12月に創業記念式典を盛大に行った。クラーク基地開発の責任者であるR・ニコライ長官などもフィリピン側のメインゲストとして駆けつけた。

伊藤製作所は1945年の創業。会社設立当時は漁網機械とその撚糸機械の部品メーカーだったが、63年に順送り金型製作を開始した。金型業界では早い83年にCAD/CAMを導入、金型の自動設計システムの外販も始めた。

96年、取引先企業の東南アジア進出が続いたため、伊藤製作所もタイ進出を検討した。しかし、タイには先発企業がすでにわんさと参入、バブル経済まっさかりで、工業用地の確保も容易でなさそうだった。そこで、伊藤社長は先発企業がほとんどいないフィリピンに目をつけた。

伊藤社長の目に浮かんだのが、ロバート・T・リム氏という中国系フィリピン人だった。74年ごろ、伊藤製作所が後で回収することになる同社の隣の漁網会社にリム氏が研修に派遣されたことが縁になった。
リムさんは国立フィリピン大学(UP)卒。友人に米国スタンフォード大学で経営学修士を取得したステファン・D・シー氏がおり、その彼を伊藤社長に紹介した。

シー氏は、米国製高級家具などの輸入販売を主な仕事にしている。家具倉庫が余っており、そこを改造して工場とすることにした。伊藤社長とリム・シー両氏が折半で出資、払込資本金800万ペソのイトーフォーカスが誕生した。工場のあるマニラ首都圏のマンダルヨン市はアジア開発銀行の本部があるなどの新興オフィス街で、優秀な人材を集めやすい土地柄だ。

イトーフォーカスの品質、設計、経理、工場管理、受け入れ出荷のすべての責任者が20代のフィリピン女性である。例えば、半年前に入社した若い女性が品質保証規格のISO9001の推進リーダーとなっている。

上場を狙いたい」とシー社長と伊藤会長は口をそろえて抱負を語った。

(アジアジャーナリスト・松田鍵)